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diary
田村亮のちょっと嬉しかったこと
田村亮からひとこと

第147回 父・阪東妻三郎の思い出 (2012年7月1日)

 父、阪東妻三郎、享年、51才
 私にとっては、たった7年間だけの父でした。しかも記憶として残っている父の姿は、私が4〜5才になって物心のついた2・3年の間だけ。
 私が幼かったせいか<とっても優しいお父ちゃん>と云う思い出しかありません。
 死後、父のエピソードは色々な方々から沢山沢山耳にしますが、撮影所に行く前にブラッと裏の畑に行って柿やらビワやらあるいはイチジク等を一つもぎ取って来てはお手伝いさんに「あとで幸照(私の本名)に食べさせてやりなさい」と云って、出掛けて行ったそうです。幼い末っ子が可愛かったのか、先行きが心配だったのか・・・。

 先ず<正月>は一番奥にある庭に面した父の座敷で家族全員揃ってお屠蘇、お節馳、お雑煮を頂きます。父は嬉しそうにニコニコしながら子供達一人一人にお年玉を渡します。この風景はどちらのご家庭でも同じだと思いますが、私にとっては大変特別な日なのです。と云いますのは、一年間を通じて我が家で父と一緒に食事出来るのはその正月の三が日だけなのです。

 そして次は<2月の節分>。豆の入った大きな升を片手に父が先頭に立って、全ての部屋を回ります。私達子供が各部屋の窓や雨戸を開けて父が「鬼は外〜、福は内〜!!」と大きな声で豆を撒くのです。私達子供は窓を開けたり閉めたりするだけでちっとも楽しくありませんでしたが、父は私達以上に子供になってとっても張り切って嬉しそうでした。

 そして<端午の節句>に近づくと我が家の中庭に高い高い鯉のぼりが上がります。この時も父は近所の子供達を呼んで一緒に鯉のぼりの準備をします。
 <七月の七夕>も庭の片隅から竹笹を切ってきて皆でいろんな形に切ったり折ったりした色紙やら短冊をぶらさげました。

 そして<父の夏休み>は恒例の宮津は天橋立。3泊程の家族旅行です。勿論、父も水着に着替えて波打ち際の浅瀬でチャプチャプ・・・。波に呑まれると危ないからと腰より深い所までは行かせて貰えません。
 今思えば、盆踊りも灯篭流し(精霊流し)も初めて見知ったのは宮津でした。未だに<丹後の宮津でピンと出した・・・>と云う盆踊りの時の曲が頭の中に流れます。

 夏休みも終わりそして秋・・・。私も小学校に入学して<初めての運動会>。しかしそこでは父の思い出はありません。私が小学校一年生の<七夕の日>に父が亡くなりました。もし生きていたらきっと、校庭の垣根の外からでも一人ニコニコして僕の姿を遠目に眺めていたのかもしれません。

 そして12月28日は<餅つき>。この日は午前中からお弟子さん達全員に「阪妻」や「家紋」の入った法被(ハッピ)を着せて中庭で餅つき。活気溢れる一日になります。祇園からも芸者さん達が応援に駆けつけてくれます。5つ、6つの僕も父の力を借りて重い杵を持ち上げて餅つきの真似ごとをさせて貰いました。近所の子供達もつきたての餅を食べに遊びに来ます。それはそれは賑やかな暮れの一日です。

 こうして父が一年の行事を我々息子達と精一杯楽しんだのは、普段接することのない子供達へのせめてものお詫びだったのかも知れません。たった7年間で沢山の思い出を残してくれました。

 さて、私が「父が有名人」と知ったのは「メンコ」です。その頃「メンコ遊び」が流行ってました、その「メンコ」には色んな人の似顔絵が描かれていて、父の「丹下左膳」や「紫頭巾」等の「阪妻」が描かれた「メンコ」が非常に人気があり、「あゝ、お父ちゃんは有名なんだ・・・」
 そんな父の映画を初めて映画館に行って観たのは私が5才か6才の頃。「大江戸五人男」の「番隨院長兵衛」の役。映画の中では負けた事のないお父ちゃんが最後風呂場で水野十郎左衛門に槍で刺されて殺されました。母と観ていた私は思わず「あッ!」と声を出した様な気がします。お父ちゃんが殺されてショックだったんでしょう。

 そんな父も晩年、台詞が入りにくくなって随分と苦労したようです。墨で台詞が書かれた長い巻き紙が事務所のありとあらゆる壁に貼られているのを覚えてます。子供の私は何とも思っていませんでしたが、今思えば父は皆が帰った後、一人事務所の中を歩きながら台詞を覚えていたんでしょうネ。

 昭和28年7月7日、私は京都の嵯峨小学校の教室で授業を受けていました。小学校1年生。すると、小使いさんが来て、前の戸を開けて担任の先生に何か耳打ちしてました。そして小使いさんはいなくなり、先生は教壇に立って「田村君。すぐに家に帰りなさい。」と一言。私は訳も分からず教科書や筆箱をランドセルに仕舞って教室を出て行きました。すると校舎の玄関口の下駄箱の前にうちの番頭さんが立って待ってました。そこからブラブラ歩いて7〜8分、途中アブラ蝉がミンミン喧しく鳴いていたのをやけに覚えてます。番頭さんはずーっと無言でした。
 家に着いて「ただいま〜。」・・・家の中は静かでした。お手伝いさんが小走りに僕に駆け寄って「お帰りなさい」とも云わず無言で「奥に行きなさい」との仕種。私は一人廊下を歩いて行くと、しばらくして奥の方から母の泣き声が聞こえてきました。母は座敷の隅に身を寄せて号泣してました。奥の座敷には白い布を顔に、父が寝てました。私は涙も出ませんでした。初めて見た母の泣いている姿にただ戸惑うばかり。泣いている母の姿を見るのが幼い私には辛かった。
 当時、私は7才、正和兄貴は10才、中学校3年の登司磨兄貴(高廣兄貴は社会人)・・・世間知らずの母がよくも女手ひとつで私達幼い息子達を何ごともなく無事にここまで育ててくれました。『先に逝去っちゃったお父ちゃんよ、残されて僕達を育て上げたお母ちゃんに感謝しなきゃいけないヨ』

 そんな母も今は父の側でノンビリしているでしょう。
いや、孫の幸士が役者になると知ってノンビリしている場合じゃないかも・・・ネ。

 どうぞ見守っていて下さい。

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